月別アーカイブ: 2025年10月

令和7年度「文化功労者」選定のご報告





Dear International

【Announcement of Min Tanaka’s Selection as a Cultural Contributor】

We are pleased to announce that Min Tanaka, a member of our company, has been selected as a Cultural Contributor for the 7th year of the Reiwa era. This achievement is entirely thanks to the support of everyone who has watched over his activities over the years, and we would like to express our heartfelt gratitude. In light of this selection, Min Tanaka has issued the following comment.

——
Comment from Min Tanaka
I am simply astonished. *Odori has always been a daily practice that comes next after the essentials of life—food, clothing, and shelter. I believe it will continue to be so. As a child who was not good at competing or basking in superiority, Odori was a perfect escape, a hiding place for me. At the same time, it was a playmate and the play itself. If you live with your body, Odori will come into anyone’s life. I want to continue believing that. This was something I never even imagined. I will take it as an encouragement for my next transformation. Thank you very much.

*Odori = Dance (There are many words in Japanese for dancing. this is one of them.)
——

We hope for your continued support.
October 15, 2023
Madada Inc.

#文化功労者 #田中泯 #MinTanaka #ダンサー #舞踊家 #俳優

舞踊と舞踏の違いについて / 石原淋Instagramより田中泯も共同投稿

言葉は時代により変化していく。だからとても難しい。本当に言葉って難しい。

前衛的身体表現と言っていいだろう。土方巽により戦後日本で生まれた意思的または思想的である種風変わりなダンスは、国内に大変衝撃をもたらした。その後海外では、パリを最初に、日本とは別のニュアンスで発展し、ヨーロッパのみならず世界中で流行となり、「Butoh」(日本語では「舞踏」と書く)とよばれ、ダンスのひとつのジャンルとして確立した。

たった一人からジャンルにまで発展したことは大変な驚きだ。しかし、これは伝統的な踊りではない。激しい時代背景の中で先駆的な人間により生まれてきた、今では考えられないほど危険さを帯びる破廉恥で突起した表現だった。(その時代を生きてきた方々がら死ぬほど聞かされてきた。)

泯さんの言葉で書くと
「伝統的な舞踏」なんてありません。これはまったくの誤解です。1950年〜1960年代、世界中で同時に起こったアンダーグラウンドの文化活動と同じで、土方巽は、反発とバネを持って独自の方向へと踏み出した。ダンス表現そのものや、社会の美意識、そして制度と身体の不自由さに対して。」

しかし日本語の漢字表現、ひらがな表現、カタカナ表現がより解釈を複雑にしているのは間違いないが、踊り(ダンス)全般を指す言葉は、数十年前までは「舞踊(ぶよう)」だった。※坪内逍遥(つぼうちしょうよう)が明治時代に「ダンス」の総称を「舞踊(ぶよう)」と定義した。

踊り(ダンス)全般、例えば…
クラシックバレエ、モダンダンス、コンテンポラリーダンス、ストリートダンス、ヒップホップ、御神楽、盆踊り、社交ダンス、ワルツ、タンゴ、サンバ、ルンバ、チャチャチャ、パソドブレ、ジャイブ、ジャズダンス、タップダンス、ベリーダンス、フラメンコ、フラダンス、チアダンス、アイリッシュダンス、エアロビクスダンス、ポールダンス、K-POP…などなど…

ざっと書いいたが、このような「いろいろなダンス」は、樹木の枝のように広がり、それぞれ同じ根っこでないかのような変化と発展をしてきた(している)。

さて、そのダンスの総称が一つのジャンルの名称に成った「舞踏」ってのはおかしいしょ…、「舞踊」だったらまだ言葉としてしっくりきませんか?。

しかし、個人が褒め称えられる芸術舞踊だけでなく、伝統芸能(日本中で誰でもが参加できるお祭の踊り)、その踊り王国の日本で、残念なことにマスメディアにおいても表記の仕方はとても曖昧になってしっまった。

さて、田中泯は舞踏家ではありません。そして私も舞踏家ではありません。

これは言い続けてきた。ずっとずっと言い続けている。しかし、この言葉は、時代の移り変わりの中で勝手に動き出して制御できるレベルではなくなってしまったことも否めない。しかし、現存する舞踏の中に共感するものは何もないので「違う」と言い続けるしか方法がない。困ったものだ…。

田中泯は、何かのダンスジャンルに依存して踊ってきた人ではなく、踊りの起源、人類はなぜ踊り始めたのか、をずっと探し続けてきたダンサーです。

泯さんは、かつて海外の大手の新聞でこんなことを言っていた。ほんの一部を貼り付ける。

記者:機能または役割としてのダンスは今この社会の中でどこにありますか?(当時、これを痛烈に聞いてきたブラジル人の新聞記者もたいそうかっこいい!と思ったものだった)

田中泯:社会に期待もしてない人間や反抗する人間も含めて社会です。ブラジルも社会ならシリアも社会です。しかし、あなたは歌も踊りもなくなった社会を想像できますか?芸術舞踊の必要はなくなった方が良いかもしれません。これはとても私的意見です。しかし、ブラジルのサンバのような国中の誰もが踊り出すような踊りは、日本にはありませんが、日本も又、庶民的な伝統として祭りがあり、その意味では世界に例のないダンス王国です。

もうちょっと付け足すと、技術的に見せてくれるものだけがダンスではないということ、例えば例えばです… 寝たきりを余儀なくされ、身体を自由に動かすことができなくても、ダンスは「そこにある」ということ。

ダンスを共感という言葉に置き換えることができるのであれば…例えば人の痛みを知る(共感する)ことは、まずは認識でなく他者の身体を想像し続け、感じ続けようとすることでしかない。わかった、と言った途端に共感は止まってしまう。専門的な知識は、専門に命を費やし日々研究をされている方々におまかせするしかなく、まずは知り続けようとすることではないのか?。私はそれもまたダンスであるということを学んだ気がしている…。ダンスはその人だけのものでなく、カラダとカラダの間に起こるもの、そこにもうあるもの… そんな踊りを田中泯はバカじやないのか?というほど、どんな場所でも世界中で踊ってきた超変なおじさんなのだ。

専門的な領域に入ってしまうと、どんな専門分野であっても、難解さが共なってしまう。仕方ないことなのかもしれない。できるだけ簡単に書こうとしてもこんなに長くなってしまう。言葉は本当に難しい…。うだうだ書くのは好きではない、ごめんなさい。

石原淋 拝

#田中泯 #MinTanaka #다나카민 #石原淋 #RinIshihara #이시하라린 #ダンサー #舞踊家 #俳優 #舞踏ではありません #舞踏家ではありません