木幡和枝|土方巽著 『病める舞姫』

土方巽著 『病める舞姫』言葉の、もっと重要な発露について

木幡和枝
「本の時間」2007年5月号
毎日新聞社刊 「再会の読書」より転載

その後、ライブ・スペースPlan-B通信掲載
(plan B企画委員・木幡和枝)

今でもその時を振り返ると、隠れてしまいたいくらい恥ずかしい、というか心もとない気分におそわれる。一九八三年、すでに三五歳を超えていた。フリーの編集者、ライター、翻訳者、通訳として仕事をしていた。さかのぼって六〇年代後半の大学時代には、大学闘争の騒乱のなかで授業など行われなかったとはいえ、いちおうジャーナリズムを専攻していた。
それなのに、いや、それだからか、言葉というものはAならAという概念や実体を、それとして伝える手段だと思っていた。正確に、無二の語を探り当てて、内容なり意志を伝達する。とくに翻訳、通訳という作業の影響だろうか、「正確さ」「整合性」こそを職業倫理の基準にしていた。それは今も大きく変わっていないのだが、言葉のもう一つの、もっと重要な発露について、その歳になるまでなにひとつ考えてこなかったことに愕然とした。
戦後日本から発して、それまで世界に類のない注目と言説を身体・肉体について誘い起こしたダンス。みずからそれを創始し、「暗黒舞踏」と呼んで、学校ダンスでもなく高尚芸術でもない、闇に閉じ込められた肉体の記憶と深い衝動の表現として、叛乱としての舞踊をつきつけた土方巽。彼の『病める舞姫』が出版されたのは一九八三年三月のことだった。
その前年、表現者やプロデューサーによる自主管理・自主運営、非営利の、いわゆる「オルターナティブ・スペース」を日本では初めてと言ってよいだろう、舞踊家の田中泯や美術家の榎倉康二や高山登、音楽の竹田賢一たち、同世代の十数名と徒党を組んで、開始していた。今も若い世代が運営している、東京、中野富士見町にある「ライブ・スペース plan B」だ。
その関係で、土方巽にも接近していた。六〇年代以来の彼の仕事を回顧するイベントをフィルム、スライド、音楽で行う企画を唐突に提案したところ、それまで数年間、「火鉢にあたっていました」と称して公演も行わず公の場にも登場せず、行方知らずだった彼が、即座に応じてくれた。その後、他界する八六年一月まで数年間の短い行き来ではあったが、肉体と言語を巡る根底的な経験をした。
土方の演出で、フィルムやスライドの映写機を数台、機関銃のようにお腹にしっかりかき抱いて縦横に振り回す私たちスタッフ。その背後から、「そんなんじゃ、アルトーが泣くぜいッ!」と土方の叱咤が飛ぶ。コンクリート打ちっぱなしの「plan B」の地下室の壁から天井の全面に舞踏が蘇った。演出の掛け声と気配で舞踏に命を吹き込むそのスタイルから、舞踏は「燔儀【ルビ はんぎ】」である、踊り手は「犠牲体」である、という土方の思想と身上が絞り出され、周りのものたちに伝染した。
その直後に、『病める舞姫』が刊行された。

誰でも、甘い懐かしい、そして絶望的な憧憬に見舞われたことがあるにちがいない。ずかずかと自分から姫君に近づき彼女と舞踏する決心をし、姫君の体温を自分の血管の中に抱きしめた経験をもっていることだろう。私の舞姫は煤【ルビ すす】けていて、足に綿を巻いていたが・・・

これはまだいい。意味を求めて読んでいると、言葉がどんどん逃げていくような箇所がほとんどだった。意味を求めないと、光景が見えて来る。

台所の水甕のそばに頑丈な若者が歯を抜いてしょげたように立っている。ただならぬ気配をまとった女が外から家の中に光の縞目をつけて入ってきた。・・・いたるところでみえない焦りが燃えていた。ぽっかりと風の洞ができているところにしゃがんで……

斯界では「言葉による舞踏」とも言われ、土方が生れ育った東北(秋田)の風景が生んだ文学とも言える。だが、私にとってこの言語宇宙の衝撃はもっと生々しく、いってみれば、自分の常備の道具をいっさいがっさい点検し直し、いちいちの道具の重みを量り直すことを迫るものだった。
言葉はそのままで生命体なのだから、何かの橋渡しのための機能装置ではないのだから……と自分に言い聞かせながら、一つの言葉の表情を見つめ、その重みの中へ想像力を突き立てていく。そんな「詩的な」授受があることを知ったのは、「舞姫」のおかげだった。
じつは、このことはまさに土方が肉体に自分をあずけて、体に精神を帰省させて、舞踏においてやってきたことだったのだろう。
その後も私が舞踏、踊り、ダンスを見続け、また即興演奏を聞き続けているのも、入り口はこの「言葉」という生命体との出会いだった。飛び出したくとも出て来られない言葉もある。だけど、出て来たときは、言葉は何かに奉仕するために出て来たのではない。即自的な顕われとしてそこにある。どうしてその言葉が、今、そこにあるのか。
意思疎通のための言語、いまではそれ以上に、情報伝達のための言語に呑み込まれそうな局面で、この、言葉のもうひとつの身上を思いださざるをえない。
肉体の復権とは、こういう意味で、言葉の復権でもある。