石原志保/文書 -斎藤顕

2006年8月15日からダンサー石原志保はソロ活動を共同作業とし、田中泯による本格的な振付にて、公演を開始する。
★同年11月4日から灰野敬二(音楽)と共に「昭和の体重」シリーズとして、約2年間、石原はこの独舞公演を継続。

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それ以前から、いつの頃からだったのか、師である田中泯の独舞、そして私自身の独舞まで、必ず鑑賞しに来る男性が現れた。何も多く言わず、ただ、毎回会場に彼とその妻の姿はあった。いつの間にか、私達にとって、彼の存在は、自然な事となっていった。

この方は、ある日、田中泯と私の共同作品に対して評論を書き始める。以下の文書はそれである。

2010年8月、それは突然やってきた。この人の存在が私たちの前から突然なくなった。だれも、それを想像していなかった。

氏の言葉は、私達にとって「昭和の体重」のひとつの要因になっていった。私は、ここに心からせめてもの感謝を表したい。

私達と共に、まぎれもなく共同作業の一担い手であった斎藤顕さんへ。

石原志保 拝

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書き手/故・斎藤顕(2010年8月24日永眠)
その、渾身の身体気象言語である。

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昭和の体重とは誰か? なにごとか?
石原志保「昭和の体重」
2006年11月4日

やはりこの八月の末に、田中泯さんがロシアの前衛ヴァイオリニスト、タチアーナ・グリンデンコさんと共演した「公案」と題した独舞で、あのプランBの地下のコンクリートの壁面に背中を貼りつけたところに、志保さんが僅かに中腰で背中を凭れていた印象から書き始めるのが妥当だろうか? その壁面には鋼の網とそれに藁混じりの泥が這い上がるように塗られて乾いていて、彼女は頭からそれに凭れて静かに瞑想していた。やがて微かに首を動かすと、後方下からの光線で首の影が微妙に二度ほど、楕円に、あるいは幅広い筆が斜めに掃いて壁を立ち昇って破墨のように掠れ、影も形態的には身体と同格の位置を占めて、公案を促す。彼女はできるだけ急ぐまいとして、そろそろと足を差し出す。素足である。その素足をナンバに穏やかにかきあげる腕に導かれて対面の、同様に塗られている土壁に辿り着き、彼女は前面からそれに凭れかかり、上半身を特に頬を匂いをかぐように擦りつける。それらはクレッシェンドに迫り上がって果てたり、デクレッシェンドの底に降りて再生する姿態ではなく、あくまで平静を保ち、緊迫した形が持続していて、強ばりはなく、彼女の内なるメロディーに乗り、やがて前面で正面に向いて舞い、ほとんど礼を尽くした挨拶のようなふりで静止して直立し、正面上方からの照明で後方中央に塗られた土壁に上半身の影をくっきり落とし、自己の奥行きを投影して決まる。乾いた泥にしっかりと彼女の形を沁みこませた影は鮮やかで慎ましい。
 やや胸を冷ややかに落として両腕をおずおずと開いて退く姿は風紋を描いて誘いを曳いていた。
 昭和の体重とは誰か? なにごとか? ともあれ、この芸術的性交は美しく成功している。恋愛舞踏派を定礎した彼方の土方巽の、資料や本でしか知らないが、背中を強調し、<宣長>と裸の背に貼ったダンサー(大野一雄)も登場したダンスが想像され、彼女の長い艶やかな髪に縁取られたブラウスの、やや深い紅地にデザインされた花(バラか?)の白が映えて冴えた香気を放ち、そこからごく自然に、本居宣長の『玉かつま』の静かな文体に導かれた。「……たゞかのをとこ女の閨の内のみそかわざによりては、心をもいれず、小刀の一つだにつかはず、何の労もなくて」「そのありさまは、ほにいだしてまねぶべくもあらず、いともいともひとわろくめゝしく、童べのたはぶれにもおとりて、はかなくおろかなるしわざなれども、これによりてこそ……」彼女は仰臥し、蹲り、跪き、頭を床に着けてのたうち、生殖器の自意識の肢体と化す。それは描写することで概念を越える試みの行為であり、いわば泥濘としての身体からの儀礼である。だがぜひ言わなくてはならないのは、それは系譜の継承ではなく、端的な固有名として自らをあからさまに晒し、彼女は「ほにいだしてまねぶべくもあらず」自由で、安易なマトリックス性へと崩れることなく、性のかたちをとった発生の場に在って、形象的ヴァリエーションの展開としての歴史を超え、原始を負うわれわれの実存を開示したことだ。
 その舞いを序破急にわければ、急の舞いは、静かに安堵して軽みを湛えて舞っており、和やかでしなやかで優しく、彼女のこれまでの舞いにはあった辛い緊張からはるかに自分を釈放していた。そこではある信頼を思わせる昇華した充実を自分の身体に舞わせていて、名づけたくなるものを喚起し、白鳥や羽衣へと滑り、浮遊感覚へと綴りそうになる言葉をやはり止めなければならないとも思うが、黒い床に血の筋を微かにまじえて掃かれたように描かれたミルキィウェイを、彼女は何度戦いて素足で渡ったであろう? そこがどこまでも広闊な暗黒空間としての宇宙で、そここそが生み育み死滅させる相を垣間見させて、われわれが泥土の地平での営みとして存在する出来事であると気づかせるのは、腕も脚も顔も持続して自然に伸びやかたろうとし、特に素足が慄くように思考し、生死の接片を感受して這い、ある巨きなリズムを辿っているからである。そして最後はまたしても後退だが、彼女はもう誘ってはいず、受胎の不思議に自足して孤独で、孤独でなくなっている。次第に暗くなって頭部だけが微かに目の中の残像となる秀逸な照明効果によって、闇に包まれて息づき、すらりとした脚で立って舞い続ける姿が見え、照明の創造した闇がまざまざとそこに拡がり、それまでもずっと噴いていた呼気が管の旋律として飛び交い、その深みで彼女はなにを孕んで舞っているのか、いやわれわれは何を孕んだのか、見ることにも必要な闇が思われた。2006/11/12 斎藤顕

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水の女
石原志保「昭和の体重」其の二
2007年1月20日

例えば男が硬い石敷きの道を硬い靴音を響かせて近づいて行くと、路傍に蹲って顔を両手で覆っていた女が断念して顔をあげ、その顔はのっぺらぼうでどこかの空間へと向い、それまでの顔をその覆っていた両掌に残し、男は今は不在となった頭部の中から、掌に抑えつけていた顔を裏返しに想像してみる。顔はそういう情況を作る。しかし闇から浮かんだこの女は、バラック棚の<飾り窓>で汚れたガラスに顔を擦り寄せて曝し、男の裏返しの顔への想像を拒絶し、汝殺すなかれという意味も掠れた無機質の透明にすり寄り、痙攣して歪んだ顔を作る。生存の欲望で生存の根拠から生存の原因をいたつきにして、彼女は孤児で、この人を見よと言う。見るのは、見ているのは誰だろう? 
 顔は歪み放しだ。彼女は紫のスカーフで首を括る。彼女が死んだのは一度ではあるまい。女は何度も死んだのだ。孕むことのない営みで何度も何度も死に、これからも死んでいく。躍るなよ、躍るなよ、と。
 琵琶が嘆く諸行無常は、死者に捧げられたレクイエムで、厖大な死者を大量消尽している戦争が同時進行的な背景となり、荒廃は遠く風土をこえて、ここでは海彼の<南方>という歴史的な用語を使いたいが、ひとさらいの風景を背負って彼女は舞う。昭和が国土だけに閉じこもらなかった証のように、いなづま(瞬く照明)が閃き、疲労は肉体の消費を強いられた女の常態で、あをじろい鞭に打たれる営みだ。仰向いたシンバルが洗面器なら、洗面器に注がれる水のひびきも耳よおぬしは聴くべしで、水の女は、空間にフォルムを作るのを拒んで時間をたどるように動くが、線形ではなく、ぎざぎざだ。
 人生は弦のようにはりつめられて戦き、奏でられるのは銅線<アカ線>の歌だ。踊り場とのほぼ境界に張られた宙空の赤線は、吹き荒ぶ寒風に唸る戦慄で、迫り出してくる彼女は、寄り目にした半白の目を死相で保ちながら、能面の硬質な不気味な緊張を漲らせ、境界を彷徨って舞う。腕の振りは抑えられ、人生は弦のようにはりつめてもはりつめても切断(昭和31年売春防止法公布)されるが、それでも彼女は誘う(舞う)のを止めずに、イギリス画家が描いた目を病む少女が僅か一本残った竪琴を弾いている「希望」という絵を編集誌の表紙にした魯迅の、散文詩「希望」のロジックを借りれば、絶望の虚妄は希望の儚さも同じ認識を地で行く生活しかない。
 希望とはなにか? 売春婦さ。(魯迅『野草』)
 パンパンは舞踊家の先生。ね、それはもうはっきりしてますよ。(土方巽「慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる」)
 今度は左手の飾り窓だが、その陰に回ってからの彼女の舞いは圧倒的である。簡潔なフレームとなった窓の、中央の透明なガラスに、きれいな左脚を胸に引き寄せて抱えて片足で立つ姿は、爪先立つ上昇で逆に彼女の重力を示し、半透明のガラスにその他の肢体を滲ませて、凄艶なタブロー・ヴィヴァンとなって息づき、その陰から再び姿を現すときの、昭和の体重になっている彼女への眼差しを蠕動させる。映画で喩えれば、溝口健二の名作『赤線地帯』のラストシーンへオーバーラップさせたいが、しかもその立ち姿は素足で爪先立って、間合いを取って再び窓の表に立ち、苦痛に歪む顔は依然として持続する。
 爪先立つ舞は抑制されていて、前回にはあった舞の身体を遠巻きにしていた円環線のようなものがなく、明らかに意味を変えた相で踊っていて、舞踊を成り立たせている底のほうの動きを続け、グリッドを自ら倒して清々しい空虚をあからさまにし、強く惹きつける。シンバルが弾け、それを擂り鉢にして床において擦った音が雷鳴のように轟くなかで、素足を地べたにつけて開き、束の間のふてぶてしい安堵から渇望に注ぐ水は、それにしてもなんという効果だろう。
 水、高く掲げ持たれた、焼け跡の川流れから拾った黒焦げの薬缶の牡丹の莟のような膨らみの先から、水が彼女の口に注がれ、仰いだ口を溢れて頸を、咽喉を細長い紡錘形に膨らませて流れ、蛇の聖性さえうごめかし、凄まじい生命力を波打たせて胸を衣裳を襲い、開いた両足の間に滾り落ち、彼女の立つ地盤に拡がり、素足をからめとって触覚の圏域を拡げる。この水はエロチックである。だが彼女に安らぎはなく、バラック棚の前の死灰のようなざらついた地面に、芸術と売春の二重性を開示して優しく自分の顔を埋めて蹲る。いまは、垂直性と平面性が交叉する、無限の深さを湛える黒い水に、蹲る異形の者として逆さに映した姿影ともども闇に沈ませていく。
 見るものの体重の希薄化はまがうべくもなく、象徴化された東洋の様式や風俗や、遊戯性にスポーツまがいに展開する技芸にうつつを抜かす、顔を失って久しいうつろな意識が批評されて宙吊りにされる。
そこには濃密な時間があった。
2007/1/26斎藤顕

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活きられる火の勝利
石原志保「昭和の体重」其の三
2007年3月7日

奏者の凄まじい絶叫とともに照明すると、奥深い桃花村から降りてきた女雛が振り袖を垂らして逆さ吊りになっていた。バラック棚が空間を仕切って林立する街のなかのスチール製の櫓梯子に、罰せられた罪の中から、渦に巻き上げた髪にした頭部を静かに振り子のように揺らすと、薄目を開けた白い貌の微かな揺らぎとともに時間が動きはじめる。彼女との道行きは今回も灰野さんで、やはり客席に迫り出た奏の座で舞いと相対して弦楽から入り、白い貌の半眼を晒してリズムを刻む志保さんの身体の動きと不即不離で、ふたつの運動があるように進行する。刑罰からもがいて身をふりほどく所作がすでにして<刑罰>にいたる所行への批評であり、死灰から甦るイメージを強烈にふりおろす。彼女は櫓を降りて舞い、櫓を登って半鐘を鳴らして警告するが、何を警告するのか。
<志保さんの舞いを伴奏にしてカラオケをやった>という灰野さんの哀しい歌謡は、エネルギーに充ちて、笛の伴奏になってからの舞いを導く段になると逆転相を際立たせ、この独舞を多極化している。彼女はガラス窓のある棚の後で舞い、横で舞い、再びガラスに横に貼りついて着物の身体を傾斜させ、二つ並んだ戸の間に左手を挿し込んで指を見せる。それは不気味な開けようとする誘いのようでも、閉じておく意思表示のようでもある。彼女は仰け反って薬缶から野生的に水を飲み、口を溢れさせて喉から胸に流し衣裳をぬらし滴らせるが、その水の重さを脱ぎ捨てて、赤いアンダーシャツと黒い半ズボンに変身して戸の前に立ち、背後になった奏者と入れ替わりに前面に出て坐って舞う。
長い脚を折りその脚に逆の腕を支えさせて交叉を作り出して手の甲に顎をあずけて、妙にたゆたいしどろなげな舞いは奏者のいた座にもにじり上がり、肯定的なお姐さんになっている。この低く水平を撫でるような舞い姿はたしかに櫓の降下や上昇に対になって空間を立体化している。彼女は誰かを捜査して街中をかけずり巡るが、もちろんそういう愛に応じられる男性は不在で、むしろたじろいで言説するしかない意気地なしの現世を見限って、櫓を上昇し突き抜けて天井に張り付き、遠く虚空に意識を投げて悦ばしき笑いを何度も笑う。
ことはこの国の愛の古層に沿ってさかしまに搬ばれた。浄瑠璃や小説、能などに描かれた愛執は、彼女たちが活きて緊迫した経験に則して考えれば、それを狂気に限りなく漸近していく愛の火はなまなかな呪術や法では収められまいなどという教訓でないことは確かである。彼女はそういう落としどころをあらかじめ拒むために櫓で警鐘を鳴らしたのだし笑いもしたのだ。彼女の溯行の果てにあるのは<伝統>ではなく、そういう場所にあるエネルギーで、それなくしては伝統のフォルムも形成されなかったところに持続する舞いの強度で導いたのだ。
「昭和の体重」と題された舞は、そういう愛の位相に体重を移し、物語を孕んだ出来事を提示している。<物語>という言葉に誤解はないと思うが、これは上記した古典芸能を復活させたり、古典をかりて現代を表現したり、往還していわゆる引用の織物に終始してやりくりするしかない試みとは切断されている。彼女はお七であり清姫であり白拍子でもあろうが、そのどれでもなく、呪法に封じ込められる弱い個性から抜け出て、原義通りに脱胎換骨した新しい地平で舞っている。制度や宗教に火炙りにされる世俗の彼方の黒い空から、あのオルレアンの少女を生んだカソリックの国へとイメージを飛翔させたはずだし、『赤と黒』の葛藤(いざこざ)を引き起こした一人のナポレオン主義者のギロチンで刎ねられた首に接吻した名高いシーンまで想起させて、遠く踊り子サロメをして洗礼者ヨハネの首を所望せしめた女性(にょしょう)の故事に通底していくドライヴがかかり、それらの口から響く笑いが喚び覚まされて、首筋に戦慄がはしった。
私はそういう戦慄があたり一面に共有されている想像に浸され、暗闇に鳴る鉦の音がしばらく続いた後で、照明されてからもなかなか人々とともに立ち上がろうとしなかった。私は見たり聞いたり知覚したのではなく、こういう形の出来事の可能態がまざまざと舞われ、絶えず刷新するイメージを生成する現場に居合わせていた感が深かった。あとは恐らく肯定的なお姐さんの仕舞いを自分の生成する言語的イメージに語りかければいいのだ。
2007/4/2斎藤顕

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エトランジェへ
石原志保「昭和の体重」其の四
2007年5月10日

 
闇に浮かぶのは透明なビニールの吊り蚊帳のような四角にすっぽり囲われた空間の中で、畳と茣蓙を敷いた床の中央に円い卓袱台を置いて、和服で両腕を凭せかけて呆然とお坐りして思案している石原志保である。その手前には幅広い棚台があって、踊り場の中のほうにスロープし、見るものの首を前に突き出させ、覗き込むような傾向を生じさせ、他人の家の中をくまなく窃視している心理がそそられる。
 まさしく息詰まる状況で、彼女は不動から始める。灰野敬二の音響も、戦前の初期ラジオのトランスの微かな雑音のような、電子の連続音をしのばせることから始める。気づいてみれば鳴っていた音は、気づいてみれば辿っている歴史のように漸次彼女の舞いにバイアスを付与して絡んでくる。彼女の不動は見えない微動のようで、指先から手から、唇から瞼から眼差しから激しい耐久が伝わってくる。やがて異常な苦痛が昂じて、呆然とした唇からふた筋のほそい唾液を垂下し、頭部が俯き、卓袱台に突っ伏し、卓袱台に両手をついて背後に仰のき、柔らかく細長い首筋を手で絞めたりして咽喉と頸筋の不思議な形をはっきり示す。彼女を浮かばせたり、円い卓袱台を巡る彼女を密閉しているビニールの外枠を際立たせたりする様々な照明の効果は、その形の相似から、彼女を閉じ込めているのは<日の丸>を立体化した空間の造形にほかならないと気づかせ、見るものはある思想に対峙し、目の当たりに展開していることが現状に通底していて尻もそぞろにならざるをえない。
 彼女が舞うのは、平凡な日常で、円い卓袱台に顎を乗せてそれを囲む連れ合いのないことにふてくされる。しかしこのふてくされは、尋常ではなく、卓袱台に素足で乗って、開脚して腰を落として舞い、脚を交叉させて足の甲を下にして立とうとする凄まじく苛酷な動きを繰り返し、立ちあがって見得よろしく踏んばっても、連れはいないことにはげしい煩悶をあらわにする。鍾馗さまはどこからも現れず、卓袱台を降り、畳の端から茣蓙に倒れたり、頭を畳につけて倒立まがいの動きを試み、また開脚して腰を下ろして舞い、立ち上がって腹を仰け反らせて息づいて舞うと、前で締めた帯の結わきが揺れてもう一つの生命のようにぶるぶる戦慄する。
 昭和の密閉の底で、若い身空で彼女はなぜひとりなのか? なぜ家族からからなのか? これもひとさらいの惨たらしい情景なのか? 彼女の胎の中には児が孕まれていて、親密な空間で囲んでいるとしたら、新婚の夫は妊んでいる彼女を置き去りにしてどこへ行ったのか? 息苦しく艶めかしい彼女の身体の炎を抱きしめてくれるものはなにゆえ不在なのか? すべては明らかである。彼女は無を先行させて時代を進む日の丸空間の底に閉じ込められながら、幾重もの空間を意識せざるをえず、この舞いに緊迫したねじれや齟齬をもたらす。彼女は子どもを堕そうとしているのか? それとも鬼の児として産むのか? そう、彼女は鬼の児を産もうとしているやさしく美しく悩ましい鬼女だ。鬼女は密閉の境界に背中を擦りつけて、己を密閉する不可視なものの変幻自在性を身をもって識り、水を飲み、口を咽喉を衣裳をしどとに濡らして滴らす。この国の湿潤の風土の嫌悪的対象を知ってはっきりと水を飲む鬼女は、水の女を離脱する、あるいは水の女でいられず、舞台奥のガラス戸に向かって、やがて<一一鬼の児の鏡みる夜のさむさかな>(金子光晴:昭和一八・一〇・三)を想い、肌脱ぎになって澄んだ容姿となる、活きた彫像のように。
 幽鬼となった魂が喪われた肉体を求める彷徨さながら、<時代閉塞の現状を如何にせむ秋に入りてことに斯く思ふかな><地圖の上朝鮮國にくろぐろと墨を塗りつつ秋風を聽く>(石川啄木・明治43年)情況は、暗夜行路をまっしぐら、冬の宿を突き抜けて加速度的に進み、<兵器の前で君らは無だ。//君らの照準も、無だ。/思考も無だ。/そして兵器だけが限りなく/兵器をうむ。//兵器でまっ白になった地球>(光晴:昭和一九・四・二三)へと至り、彼女は狂おしく舞う。なにしろ思考が無なので、<無の自覚的限定>もかなわず<絶対矛盾の自己同一>(西田幾多郎)からズレて狂わしく舞うか、思考の生地と化しているそのものを、紅いキャンバス地を切り裂いて見せたフォンタナの<空間概念>のように、切り裂くしかない。その闇がメタの不気味を覗かせていることは今では誰も知っているが、切り裂くのはそのような閃光がはしる本能的な行為でなければならない。封じ込められていると意識するもののみが手にしうる鋭い刃で裂いて密閉空間を踏み出すと、ビニールは萎んで彼女の背後で平伏する。
 だが不吉なくろぐろとした傾斜を肌脱ぎのまま覚束なく辿れば、<坂の上の雲>はなまなか奮闘を慰撫したりする輝かしい浮雲どころか、<浮雲>の危惧を現実化したもくりこくりのきのこ雲に連なっていた。ABCD包囲網に翻弄された狂瀾怒涛の無常といふ事のさなか、彼女はもうひとつ大きな密閉空間に被われ、腰部から垂らした濡れた和服の裏地を剥いた朱赤を鮮やかにして、白痴となって佇むばかりだ。彼女は坂を降り傾斜に背中向きになって胎児かすでに虚しくなった空洞を庇う姿勢で蹲る。その絶望はとりあえず死者を弔って鎮魂共同体をつくる幻想なぞには決して見向きもしない深い姿かたちだ。灰野敬二は立ち上がってマイクに向かって凄まじく阿鼻叫喚を放ち、その絶望に対応して意味不明に喚くのをやめず、彼女の細い背中にやわらかくフォーカスして溶暗してからも怒号し続ける。石原志保の赤のイメージと灰野敬二の黒のイメージが対比的に混交し、照明も見ていることも、彼らと同じように場を作っているように感じられ、わたしは鬼嘯を確かめる。<うつろから来て、うつろにきえる/あの聲だ。あの聲だ。/「返してくれえ。/返してくれえ。」>(光晴)
 こうして彼女は、戦時中の女性が戦後へと生き延びる断絶の憔悴を舞って、言いがたいものをふりまき、四角い盛土を降りて、大きな栗の木下闇の暗がりに消えていった、2006年夏の<白州>での新しい出発の傑作「八月十五日のエトランジェ」を、様々なイメージを抱え込んで大きな円環を描いて再帰的に掠めるようにも想わせる。より苛酷に大きくなった密閉するものを可視化して切り裂いて舞おうとして。
2007/5/17斎藤顕

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虚空よく物を容る
石原志保『昭和の体重』其の五
2007年9月8日

 
こんどは家の中である。幾重もの空間の巡歴は、また私たちが寝起きする基底的な場所に戻った。
三段の箪笥がふたつややずらしてはこ筥をランダムに開けたまま重ねられ、てっぺん頂辺に白いシャツを着てうす色の半ズボンを穿いた石原志保が後ろ向きに腰掛けている。その小児めいた姿はいたづらして開けた筥を足場にのぼった経緯を忍ばせるが、粗むしろを敷いたばかりで辺りは外と連なり、防塁のように堆積した土塊はその頂に石灰を真っ白に被せ、チョモランマ級の高嶺に囲まれたそこを、じかに異界を呼び込む彼岸にもしている。おそらく見るものは外で、ここに存在しないのであり、虚空への眼差しを彷徨わす仕舞いは、見るものの己の不在の怯えに似た心象に想える。
 彼女は背後に気配を察して首を回し貌を横にして箪笥の頂辺で坐ったまま回り始める。その手脚は
長くしなやかで、やがて速度を増してさまざまな姿態をあらわにし、逆さまになったみてぐら幣が遠心的に回っているようにも見え、烈しい煩悶の姿勢からもその絶望が撒き散らされ、鎮めなければならない事態の甚大な荒唐無稽へと想像がかきたてられる。貌をふくめた奇怪な仕種は、造形家たちがそのモデルに託した姿態となって感情を表白し、狂瀾怒涛の人類史的様相へ曝され、極度に悲惨な図柄やポーズを想像させて止まない。奏者のゆっくりしたテンポの浄瑠璃を想わせる音響は因循な翳りをたゆたわせ、仕舞いの形象はテロスの狂騒するひどく血腥い現実界と呼応し、倒れたものが必死に立ち上がろうとする難度の高い舞を執拗に繰り返し、伸びやかに横臥し、踞って痙攣し、箪笥のズレた縁につかまり、やがて開けた筥を足掛かりにそろそろと降りて、その場で遊び始める。

 ……あなたがたはさら攫われてあが足掻いても還れないので、わたしはあなたがたの不在の関係としてのあなたがたの願望である。これらの箪笥の筥には、過去のダンスの衣裳がぎっしり重ねて収められていて、わたしが経巡ってきたさまざまな空間と対応しているが、いまは空になっているため、格好の玩具ともなり、わたしはそこを自由に昇降して出入りでき、筥は棺にもなり、紫色の隠者の挽歌でひきずり、自分の棺にこもって隠しておいた朱い着物も着てみせられる。
 わたしが入れ子空間の中でぢだんだ踏むグロテスクなど、あなたがたの狂瀾に比べればものの数ではなく、児戯に類しようが、そこにこそ帰還できないあなたがたの願望の真相が宿っているのではないだろうか。わたしの踊りがあなたがたに届いているかは心許なく、ひっそりと交響もなく日も翳って褪せた肌を曝してただやるせないばかりで、腕を振って、手を拍って、足を小躍りさせ、ユーモアすれすれにデスパレートな振付けのままひとがたの踊りを楽しげに辿ってみよう。
 しかしああ禍々しい気配がする。何ものかがおしよせる勢いで、またあの〈人間〉が歴史を反復しに還ってくるのか。わたしは水を呑む暇もなく、怯えながら箪笥の後に息を潜めて身を隠すしかない。この闇の深みで張りつめて瞠る目には、あなたがたがその生身の地獄から還って来るときの唯一信じられる昏い心の空虚が見え、それだけがわたしの隠れる場と通じている気がする……。

「八月十五日のエトランゼ」を越えた「昭和の体重」其の五は多く空間を考えさせ、様々な局面から書けるように思われた。だが空間を成り立たせている場を考えると、どうしても振付作者が初期から劇場ステージを逸脱し、ずっと屋外や自然で踊ってきたことの必然的な帰結として、いま現に世界各地で遂行している場踊りが想像された。そのほとんどを見逃している者には不在感がしきりで、「私」「身」「心」「時」「空」「場」など、まったく基本的に単純な概念を組成して論理を緻密化する趣向とは別に、それらを抜けて伸びやかに言葉を繰り広げている古典を引いて、これらのダンスを貫いているであろう思考と、場への思考のイマジネーションを繋げたいと思われた。
 ぬし主ある家には、すゞろなる人、心のまゝに入り来ることなし。主なきところには、道行く人みだ濫りに
立ち入り、狐・ふくろう梟やうのものも、人気にせ 塞かれねば、ところえがほ所得顔に入りす 棲み、こだま木霊など云ふ、けしからぬ
形も現はるゝものなり。 また、鏡には、色・かたち像なきゆゑに、よろづ万の影来りて映る。鏡に色・像あら

しかば、映らざらまし。 虚空よく物をい 容る。我等が心に念々のほしきまゝに来り浮ぶも、心といふも
ののなきにやあらん。心に主あらましかば、胸の中に、そこばく若干のことは入り来らざらまし。(『徒然草』
第二百三十五段)
2007/9/24斎藤顕 

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写生への意志
石原志保「昭和の体重」其の六
2007年9月8日

 

 下手奥に水を湛えた大きな樽が立ち、上手壁沿いのやや前に空洞をこちらに開けて同じサイズの樽が倒れ、真黒の天井からは同様の樽が蛇を想わせる太綱で逆さ吊りになっている。
 石原志保はさばさばと入って来て、中央奥の小さな四角い鋪座にすっくと立ち、自然な姿で壁に背もたれし、地下室に布置されたものとわれわれとそれを超えたかなたに目を投げ、沈黙を吸い込んで静かに意図を漲らせていった。やや左肩をそびやかし腰と脚をわずかにずらしても、型の臭気はみじんもなく、娘のいさぎよい心意気が漂い、あの寸足らずな滋味ぶかい褪せた朱色の着物で、あらわな脛の先の素足でそろりと擦りだしてくる。
 だがその動きは緻密に測られていて、幾何図形を辿り、遠近法を可能にする焦点の空虚をあばきながら、方形に、彼女の実寸丈の見えない立方体を形成し、能舞台の空間をすっぽり入籠にした。空間を移動する身体は、逆さ吊りの樽の口の面と、彼女の腰の辺りの高さに壁面に張られた黒い紙膜とで、この装置がおそらく三層にしている舞踊空間を切りとっていて、幾何を入籠構造の興味深いものにした。だから彼女がゆっくりとふり返り、静かに降りてくる樽に腕を伸ばして触るときも、層の伸縮が筒型の空間を際だたせ、生きた幾何学としての空間の経験が呼び覚まされ、もう一つのやわらかい筒型の存在の、その生き物が生きる場になって変貌する。
 この劇の物語はよく知られたもので、この「昭和の体重シリーズ」でも其の三でテマティックに触れられたものだが、シリーズをふり返って思い浮かべると、その当初からの通奏低音のようなものが繰り返しているのは、やはり借り蓑や借景などという次元では語られない出来事の強度が辿られているのがわかる。だからこれらは隠喩の物語ではなく、深層を暴くトリッキーな芸能ではないし、引用としての織物でもなく、そういう言葉のがわの筋書きをこばむ批評として展開することに注意しなければならないように迫っていた。例えばこれらの樽は鐘ではない、と思い切って見ることが、見るもののうちがわで難しくもやもやしていては、その動きについていけないのだと思う。
掌や腕に触れられた樽の木肌と、その乾いた湾曲の面はなにを想わせるのか、ということがおそらく彼女の次の行動を導き、導かれた行為が頭のうしろの方にたなびかせていくイメージが、身体をその形のままにその場に対応させていくにちがいない。彼女には布置があり、ものの形さえあれば充分なのだという自信さえ感じさせた。しかし布置とものの形は、身体をどう導くのか、それは身体という物質的自然の姿で、その姿がとる動きそのもので、べつにある種のことばの側に立たなければありふれたできごとで、ありふれて多義的な凄まじい運動である。ここには隠れているものを見えるようにするなどという疚しいことはなく、意味されないものを意味されないままにしておく、それで充分なのだという強い肯定が繰り広げられる。
 樽の虚ろさだけが彼女の対象なのだ、とことばにしてみる。すると虚ろさの形態的メタフォーが、次々と例えば樽は角隠しとも虚無僧の被りともなり、人体の抱える空間ともなりで、なまなましい生の営みの姿で、それにすっぽり隠れその懸垂にひき攣れて高く身体をのばして爪先立ちするおどりは、すぐに彼女の衣裳が聖性を突き破って裏切り、意味されるものを逸脱してしまう。だから遡及されているとすれば、見るものは空洞からこぼれ落ちるように抜け出たその身体の、子宮から生みおとされた実存のいたいたしさをあらわにするのを目撃する羽目に陥る。
 「垂直に向かいあって水平にものを考える」床に雪崩れてくずおれて、その美しいすわりの芸が、ある姿態形への批評になっていることを見逃したくないし、そこから床をのたうつさまは、やはり三相をなす水平の空洞へところばって、その身体の具体はやはり真面目な、難度の高い脚のうごきに惹かされて、踊りにならないような形のうごめきを、緊張にみちた抽象すなわち踊りへと変容させていた。それを追う目とその記憶は、あらわなイメージが脳内イメージに展開していくのを意識していて、埋め込まれている自分の言語構造を抜け出す孫悟空の絶望から、姿態の動きへ快感に、感覚への意識のような相互融即のきわどい関係に侵犯された。
 だから踊りを見ているのものを侵犯するのは、言語である。彼女は自分の踊りを隠喩の物語の次元で辿られる言語を拒否して、文法に合わない言い方をすると、ベーコンの絵画の、枠組みが設定された次元をころがる生身を写生するようにのたうち、それをよく意識してうわずらないで、絶対的な空虚の垂直な空洞とは異質の感覚に接近する戦きに優しく、自分のほかの誰にも触れられていない記憶の樽への純粋遊戯性へとおののいて近づいていく。そこでありありと辿られているのは、きわめて形而上的な形象と自己の現実との間で思考された出来事である。まずは寝ている人におどおど触れるおそれをふるわせながら樽を転がしてみる。自分という樽を転がす輪廻の思想から、どう逃れられるのかまたは逃れなくていいのかと錯綜し、あそびやせんとうまれけんわがみさへこそゆるがるれと辿られていく。
 なぜ脚が伸びやかに垂直に、身体を飛躍させる意志を形象化するバレエの逆さまなスタイルで、天を指すのか、舞台奥の低い位置から発光される逆行を背にして黒々とした円い立体的な空虚に身を埋めながら、なぜ彼女が卑屈な姿勢をさらすのか、こういう身体的形象の思考には、それを見るものは正当に立ち向かわなければならないと想う。ロジカルな思考とは異質な、わたしにはまだ辿られていない、身体の運動をともなったイメージ思考がことばに語りかけてくるのは、そういうよく意識化されたうごきである。たとえば水平軸の転回の後で、彼女がほとんど床だけを対象にして、その脚を交叉させて、足の甲を床にして立とうとして、重力に抗っている姿をさまざまに見せ、昭和の体重の垂直への意志をみずからいたいたしく崩すしかない踊りは、わたしには彼女が自分の身体の動きを写生しながら、芸術という比喩への現実態を示していると想われた。
 そういう思考が底をついたとき、彼女は時間の質の遍歴の果てに、その構造の必然のように、音楽の時間構造で言えば思考のどんづまりをひき揚げるためにあくまでも控えめだが軽やかなうかれを踊り出す。前回もそれに救われてあのような踊りへの羨望のような心を軽やかにされた記憶が呼び覚まされたが、舞手たちはやはりそうはさせなかった。大まかに言って序破急の構造のなかで、仕上げられる構想的な予想は彼女の促しの足どりと、あの黒こげの薬缶を持つ姿勢と、掠れた笑いとでやんわり裏切られた。そのうえ彼女はいわゆるでんぐりかえり、着物を裾から頭から肩まで被って見せ、どこまでも転形していく。わたしの裏切られた快感的な過程を言えばこういうことになるだろうか。
 彼女は自意識上生きられないのだ。自意識上生きられないという表現が伝わらない現状では、おそらく彼女の前回にはあった楽しげな踊りへの翳りと声の掠れは、衰弱に見えたに違いない。彼女は今回もあの美しい喉をさらす。それで充分ではないだろうか。彼女はおそらく泉鏡花の人物たちには想い描けなかった深い自意識で死んでゆこうとする。命が円環時間の構造体のなかに静かに沈んでいき、水がこぼれて樽の木肌にしみて色を濃くしていき、どこまでも沈んでいき、だがわたしの姿を映すのは相変わらず水であり、水に映ったわたしのなかにしづんでいき、そういう危うい接片へと動機が迫り上がる。彼女が再生してくるのはそこからだ。
 水に濡れて重くなった身体、もうそれだけで、人は充分肯定的なのではないだろうか。その肯定の衣に包まれた意志こそが、写生されてしかるべきで、彼女が自分の生身をドキュメントしているさまが彼女の踊りだと納得された。そして概して表情は穏やかで含むものが豊かだった。この文章は彼女の踊りを分析したりするものではなく、写生を心がけたものだが、不十分なのは言うまでもない。音楽(音響)はこのシリーズで最もメリハリよく場面々々に適合していたと想う。その上で言うと、彼女の息が水面に漣さえも立てないように触っていくかすかな音楽がずっと沿っていたものに収斂していったように想う。

2007/12/2 斎藤顕