博報堂 雑誌「広報」2012.9

ぼくはかろうじって立っている哺乳動物だ

田中泯

ここに踊る動物がいる。
ここに踊る思考がいる。
身体と心の間、そして自然と人間の間を、
独自な視点で切り拓いてきた
田中泯と対話した。

9月15日11:30AM @plan-B 
編集長:市耒健太郎

—————————————————

編集部:本日はよろしくお願いいたします。今、僕たちが持っている問題意識というのは、ある種の社会システム、たとえば「経済」とか「市場」とか「政治」とか、そういうきわめて概念的な話が世の中では当然の正論としてまかり通っている中で、そもそもそれらを形成している「人間」っていう議論が抜けているのではないか 。本日、田中泯さんにお伺いしたいのはその「人間」についてのお考えです。
田中泯:実は、テレビのドキュメンタリー取材を何回か応じたことはあるんです。結局、テレビ制作側には、見る人に伝えたい、僕にはしゃべらないけれども、予定したある目標値があって、それに近づけるためにやっているわけですよね。その目標自体が、そもそも気に入らないという、そういう感じがすごくするんです。だから、ひとっつも、僕自身がドキュメンタリーから刺激をもらえるものなんてない。人間というのは大体、人には決してわかりようがない、伝わりようがないものを9割以上持っているわけでしょう。本当にわずかな部分で、かろうじてつながっているというふうに本当は思いたいんですよね。一人の人間にとっては、見えない部分、あるいは見せないでいるというか、あるいはふたをしちゃっているとかというような、そっちのほうが圧倒的にでかいのに。
これほど芳醇な世の中のことにつながりを見せてくれる大本を振る舞うのが、放送局だったり、企業だったり、国家だったりするというのは、やっぱり決定的な間違いだと思うな。今の世の中には風の便りすらなくなちゃった。あんまり、そんなこと言うと、博報堂の仕事がだんだん減ってくるかも知れませんね(笑)。今日は、よろしくお願いします。
編集部:お気遣いありがとうございます(笑)。僕たちもあらゆる固定観念をゆさぶってかないと絶対ダメなんで。あらためて、よろしくお願いいたします。
田中泯:まず「人間とは何だ?」という問いかけ自体がね、本当に、体のどこで、それを問いかけているかってことが問題だと思う。たとえば、日本人ほど外国に女を買いに行く民族はいないでしょう? おじさんたち、みんなやっていますよ、恐らくそこらじゅうで。そういう大人が「いじめ」の話をするんだからね、敏感な若者にはまずたまらんですよね。僕にとっては、「体」がその時代、その時代に、どう社会や個人にとってイメージされ、扱われてきたかということが「文化の一番もとのもと」にあるんじゃないかなって考えているんですね。その一方で「身体論」というのはことごとくあまりおもしろくなくて。ただ入り口をいっぱいの人がつくってくれていますよね。ミシェル・フーコーなんかもそうだし、いろんな人がつくってくれている。そこから先に進む論者が全然いないんですよね。それはもっともだと思うんです。やっぱり時代をもろに影響を受けた体を持ちながら、その中であまたある歴史上の身体の流れなんて、そう簡単に空想もできないし、本当に難しいことだから。
編集部:そういった文化の大本になっている「体」の認識のなかで、泯さんにとっての「踊り」とはなんでしょうか。
田中泯:「ダンス」と呼ばれたり「踊り」と呼ばれたり、いろいろな言葉になっているけど、ダンスってはたして分類できていると思います? 僕にとっては、もはやダンスって、見える範囲で判断するものじゃ、ほとんどなくなってきているんですね。いわゆる競技ダンスはますますスポーツ化していって、一方で、本来の「踊る」ということは、宴会だとか、カラオケだとか、いろんなところで相変わらず、世界中を旅してて、本当に日本ほど踊る国民は実はいない。明日からパリで講演するので、今日もいろんな映像を見ていたんだけど、裸祭りとかね、火の祭り、水の祭り、本当にこの国の踊りはすごい。外国の人に日本の祭りはねって見せたら、本当、ショックを受けるよ。インドなんて、一杯あるように見せかけながら、ほとんどは中心になっているのは物語で、つまり自分たちの古事記を村民にやらせているようなもの。ずうずうしいったらない。アジアの他の国々も、たくさん踊りや祭りはあるけれども、非常に統一されている。日本ほどひっちゃかめっちゃかな、それこそ「やおよろず」どころじゃないというか、いろんな神々のもとからいろんな踊りが発生していて、儀式というか、秘儀まで含めれば、本当にすごい生命力なんです。
 で、僕の踊りはね、というかすべての踊りが分類できないはずなんです。それを、これまでは、人間はさんざん分類してきたわけですよ。僕たちは分類して落ちつき払っているからいけないんですよ。本当に、分類する動機というのとは、基本的には落ち着くためですよね。かつて人間は、植物やら生き物やらいろんなものを、とにかく必死の思いで、自分たちの体や、物質も、人間以外の生きているものも含めて、一生懸命分かろうとして分類してきました。ただ、やっぱり人の個体のプロセスをこう簡単に分類しちゃったのは間違いですね。踊り、音楽とかね、いろいろ分類してきたけど、ちょっと簡単にやり過ぎてますね。分類できないものに、実は人間の内部が潜んでいるんじゃないかなというふうには、なかなか思えなかった。
編集部:分類のプロセスを見ても、それからこぼれ落ちていくものがたくさんあるはずですよね。分類できなかったものはどんどん無視されていく、なぜなら分類者側に都合がいいから。
田中泯:そう。社会の動きから変化を見ていると、不安なものとか落ち着けないものとかいうものが、どれだけ社会を動かしてくれてきたのかというふうに考えたら、怖いんです。それは個人にも一緒のことが当てはまると思うんですね。どうもこれは不快だというふうなものというのは、要するに不快だと感じている自分を見る目がもしあれば、それは次の瞬間に全然違ったものに変化していく素晴らしい可能性を常に持っているわけなのに、それ自体を簡単に排除してしまう。不快自体も、個体の大事な運動の一部であるというふうになぜ考えてこなかったのか。踊りとかなんかでも、「好き」とか「嫌い」で間単に仕分けされちゃうんですね。あれ好き、これ嫌いって。何で好きなの、何で嫌いなのって聞くと「悪い?」とかって言われちゃって、ごめんなさい、すみませんって(笑)。今は「自分はなぜこれが好きなのか」という最もおもしろいところを考える人は非常に少ないんですね。自分の中に今生まれていることなわけじゃないですか。これを好きだと思ったのはなぜ、なぜ?というふうに思うことが、まさにおいしい「ごちそう」ですよね。
編集部:東京の多摩地方でも「古式獅子舞」という昔からある三人の獅子舞があります。これが、すごいおどろおどろしい、本当にインドネシアみたいな仮面みたいなものを被って踊るんですけれども、きわめてまがまがしい、荒っぽい踊りになっている。九州の祭り、四国の祭りに伝わる仮面などもそうですけど、地方にいくと非常に怖い意匠を持っているようなデザインが残ってたりしますが、現代は相対的に、それが感じられるものは減ってきたような気がしますね。
田中泯:仮面一つとって見ても、僕らが歴史で教わったり自分で発見することも含めて、主流として残されてきたものは、権力者の勝手な記述ですよね。言ってみれば主流の歴史に記載されたり記録されたりしてきて残っているものというのは、何が作用してそうなったのかを考えることこそが歴史のはずです。例えば伎楽とか雅楽とかと言われているものとか、大陸からやってきたというだけで「え?」と言って終わっちゃう。日本は大陸と隣り合わせで、この速さの黒潮に囲まれてあるわけですよ。今の尖閣諸島問題のようなのことは、民族史的には年がら年じゅう起きていたはずなんです。そういう人たちが持ってきた海の向こうの芸能みたいなものをふうっと日本に運んでくる。そんなのは全く疑うべくもなくあったと思うんですね。お神楽や獅子舞や、そういうものをどんどん村から村へ伝搬するようにしながら、同時に、外からいろいろなものが流れついては、そういったものと混じり合って、解け合ってすーっと日本の地域の伝統になってきた。この島国には、外も内もない、それはもう本当に日本の絶対特徴だと思いますね。
編集部:外来神というか、外からやってくる神が、古くからいる神と対決して、倒すわけではなく融合するみたいな物語は、日本には昔からありますね。海から何かがやってくるという感覚というのは、やっぱり常にあるんでしょうね。今、泯さんは「主流の歴史に記載されてきた」という言葉を使われたんですが、例えば、受験勉強を考えてみると分かりやすいですよね。世界史にしろ日本史にしろ、人類の歴史のどのような位相の中に自分をプロットするかという創造的な作業は、山川出版という独占的な歴史教科書の記述によって勝手に一本化されるわけです。歴史があたかもたかだか1000人ぐらいのメーンプレーヤーによって作られたような錯覚を与えられた、それを丸暗記したら偏差値の高い大学にいける。
田中泯:名前を残す人と名前が消える人という仕分けが、すごい昔から起きているわけですよね。有名制というのが、経済の時代になったらますます捨てがたい方法になってしまうわけですね。名前というのは、基本的には、本人の努力と関係なくつくられていく可能性を、ものすごく帯びている。特に今日の社会ではそれが極度に技術化までしていると思いますね。勝手に消されるにしろ、残されるにしろ、本当は、一人の人間が生きるということは、ほとんど全世界の仕組みと決定的に関係しちゃっているわけですよ。すべては本当につながっている。「ぼくの小指は、実はアフリカと関係しておりまして」とかというようなことを言っちゃわなきゃ何も始まらないと思うんですね。僕の師匠の土方巽も「足の裏で世界をなめてみよう」とかと、この感覚を言い当てようと、いろいろ言葉の素材を探っていた。
編集部:特に小さい子どものころなんか、自分だけのおかしな感覚であったり、言葉で説明できない感情ってみんな持ってたりしますよね。でも学校教育や親から、そういう説明しずらい部分から消されて一本化されていく。そういう前の、あやふやな無秩序な状態を、泯さんは「私は子ども」というような表現をされていますけれども、そういうのは踊りの中に具体的に出てくる瞬間はありますか。またそういう意識をされるものなのでしょうか。
田中泯:言われる通り意識というのが大事で、運動と一口に言っても、意識して動かすということと、意識しないで動かすとか、あるいは動いちゃうとか、幾つかの違いがあるじゃないですか。とはいえ、赤ちゃんは、例えば手足4本をまったく自由に、何の関連もなくそれぞれ独立したものとして動かすことができる時間があるんですね。それか何カ月か過ぎちゃうと、今度は脳と直結して、たぶん「この私」みたいなのがでてくる。 赤ちゃんが「私」なんて考えているはずがないと思うんだけども、昆虫のような意識なのかしらね。そうなってくると、今度は、どうもつながらないと動かせなくなってくるんです。そうなってしまうと、右手も左手も、もはや完全なる自由には動かしてないんですね。自由に見せているだけで。だから、それは憧れに近いんですけれども。
編集部:指令系統と体の動きが完全合致する前への憧憬。泯さんが踊りを始められたのは若いときなのでしょうか。
田中泯:実は、僕は、もう3つか4つのときには踊りに魅力されていた。そのきっかけはお祭りなんです。その昔は、テレビとかもまだあまり普及してないときで、お祭りは2~3キロ遠くでも、みんな歩いてお祭りに行ったんですね。お囃子の音がどんどん大きくなってくる暗い夜道を。やっとたどりつくと森の中の神社に灯りがともっていて、風が吹いていて、神木の大きな影があって、人の踊る影がある。もう、恍惚としてましたね。それで、お祭りが近づくと、まつり囃子とかそういうのの練習が始まりますよね。笛とか太鼓、あれ聞いちゃうと、もうダメでした(笑)。自分の家に、本当に畳一枚ぐらいの舞台をつくって、そこで出鱈目な踊りをとことんやっていましたね。若いころに、女性が好きになると、何とも落ち着かないというか、ムズムズする。全然自分でうまく、これはこういうわけだと理屈を言えない不思議な身体感覚になる。あのことと似ているんじゃないかなと思うんですね。だから、ある種、すごく動物的欲求が先にある性から来るものじゃなくて、性とはっきりと僕は分けられるもののような気がするんですけどもね。でも、きっとこれもエロスだと思うんですけどね。何人ものひとがここで踊り、ここで果てていったんじゃないか。これ、きっと、生と死というかね、すごく近いものが入れ代わり状態でクルクルクルクル回転するようにして、僕の体に押し寄せてきていたんだろうなという感じがしますけどね。
編集部:そんな感覚を、3、4歳で? 
田中泯:そう(笑)。それがね、だから、ずっと続いているんですよ。
編集部:そういう感覚を持った泯さんの少年時代ぐらいから高度成長が始まってきて、そういうお祭りが急激に減っていきますね。
田中泯:そう。考えると、昔は、本当にお祭りが多くて、いろんなところでやってました。僕は20年生まれで、昭和の30年代ぐらいからテレビがぼちぼち出てきて、皇太子の結婚で、一斉にテレビが普及するんですね。でも、テレビというのは家の中に祭りを電波で届けちゃったから、そういった意味では、けっこう人間の足と同時に、日本から祭りを奪ってしまった機械なのかも知れないし。でも、闇がないんだよね、テレビには。
編集部:その後の泯少年は、どのように踊りに接していくんですか。
田中泯:18、19歳で習い始めたんですよ。まずバレエとモダンダンス。その当時は、日本という国は、敗戦直後からアメリカ文化センターというのが東京にできて、そこにアメリカからダンスの教師が毎年送られてくるんですね。それがいわゆるアメリカンの“モダンダンス”と言われているもので、なかなかしっかりした理論と議論を経て生まれてきたものですから、そのときの日本にバーッと広がっていくわけですね。で僕は、それを習い始めたんだけど、ずっと首を傾げてました、何年か。 
編集部:「こんなんじゃない」って感じだった。
田中泯:舞台装置→舞台というからくりに納得が行かなかったんですね。単純に言うと、モダンダンスとかバレーって、スポットライトを浴びると舞台から降りられなくなるというか、病み付きになっちゃうという、あの世界。ほとんどの人が、客席を鏡にしちゃって、その鏡を使って踊っているわけですよね。それが僕はできなかった。祭りとかお神楽なんかには、それがないんです。
編集部:正面がないということですか。舞台の構成上。
田中泯:こういうことなんです。(田中泯:自分の胸に手をやって)こっちに鏡を置くんです。見る人は、これを見ているんです。踊る人がこうやって鏡を見ちゃいけないんです。アマテラスなんか、まさに御神体が鏡だったりなんかする。インドでは衣装が鏡だらけになったり、鏡をどこに置くかが踊りの芯にはあるんですね。僕にとっては、自然と自分が、鏡。
編集部:日本だと“面影”みたいな言い方もあります。影と鏡みたいな。
田中泯:そうですね。そもそも鏡を見るようになって全部変わっちゃった。鏡の前で練習をするというのは、日本の伝統的なものには一切ないんだよね。西洋から入ってきて初めて自分の鏡を見るようになる。だから、西洋のクラシックバレエの世界のように、選ばれたエリートが美の極致を見せていくというのては、決していけないとは思いませんけれども、ただ、選ばれなかった体に、もし焦点を当て直してあげるチャンスがあるとしたら、無尽蔵に踊りの才能は過去にあったと思うんですね。
編集部:舞台における鏡の話。祭りには、自然も、自分も、恍惚も、すべてがあった。一方で、バレエやモダンダンスは全く違うシステムじゃないですか。そんな両極の体験を経た泯さんがどのようなことをお考えになって、今の「場踊り」にまでいたってきたのでしょうか。
田中泯:20代のときに芸術舞踊として習い始めたときに、もう既に違うな、何が違うんだろうかというチェックは、確実に済んでいるんですよ。裸体の踊りを始めたときに、それをどんどん進めていって、劇場というのは本当に踊りに必要な場所なのかとかね。だって自由に踊るための舞台が一番凝り固まってて、客との関係とかもつまらないと思った。そういう疑問がありながらも、僕にとって踊りというのは、すっごい好きでしたから。今でもそうなんですけど、本当に踊りが好きなんですね。私の存在よりも大事なものなんです、踊りっていうのは。だから、踊りが一体どこから来たのか。人が踊るというのは何なんだろうかというのが、もうずっと、すごく、それだけを思い続けているんですよね。それで、最近は、これは本にも書きましたが、直立二足歩行を選んだばっかりに踊りは生まれたというふうに思うようになったんですね。そういう意味でいうと子どもはいい踊りをしますよ。でも、最近の日本の子どもとか、ヨーロッパ、特にイギリスあたりの子どもなんか、ちょっと見てらんないなという感じがしますね。アジアの子は素敵ですよね。目が違うよね、まず。
編集部:子どもって身体と心のつながりがすごく素直ですよね。日本の子どもはなんで踊れなくなってきているのか。日本の子どもって少し元気ないんでしょうか。
田中泯:子どもというのは、親が理解できない不思議な感情や感覚に満ち満ちている生き物であるべきなんですね。親がそれをわからないから、会話の上でも対応の仕方でも、要するに、キャッチできる信号だけを肥大化させていくわけですね。単純になるに決まってんじゃないですか、子どもは。でも、親は知ってるはずですよ。自分が捨てて、捨てて、捨てて、すべてを捨てて行きてきて、残念ながら今こうなっているというのを。それを認めるべきです、親は。「あなたはあなたが知らないとこに行くんだよ」と、なぜ言えないんだろう?
編集員:いわゆる団塊以降の「親」は世代的にはそういう「えもいわれぬなにか」を捨てて育ってきた世代というのもあると思うんです。一方向にみんなで走ればうまくいくと信じて、「考えないことで成長してきた」というか。だけど高度成長が終わって、こういう原発や文明の問題とか、政治とか経済とかの問題が露呈してくると、それはもう目を伏せるしかないんですよね。ただ一番の被害者は、システムが上のぼりしていないときに「考えないこと」を教えられる子どものはずです。
田中泯:そう。人としてとか、言っている大人が一番人間のことを分かってないんじゃないかって気がする。以前、歩行者天国で四つん這いになってずっと這いずり回ってことがあるんだけど、立派な警察官が囲むわけね。で、なんでだめなのか聞いたら「人間として、それはさ、君〜」って。じゃああなたに聞きますが、人間ってなんですかって。僕は、今、大地をつかみたいと思っているだけなのに、それは人間じゃないのって。
編集部:地面を這うときでも、あるいは転んだとき、殴られてばっと顔面を地面にぶつけるときに、忘れられないのは地面の匂いですよね。土の匂いとか、アスファルトの匂い、血の匂いとか。今回の特集は「エコ・エゴ・エロ」です。「共同体の欲」と「個人の欲」と「細胞レベルでの欲」において、これまではそれらが別個に語られすぎたがゆえに、なにかつまらない正論だけが世の中に増えている気がすると。でも、実はそれらは「連環」で語られなければならないのではという考えています。そこで僕たちは、言葉の定義を超えた感覚的ななにかを探していて、その一つで匂いの持つ社会性とか直感性とかエロティシズムを調べているんです。そこで鈴木隆という匂いの専門家にお話を伺ったら、すごく面白くて。要は、四足歩行というのはもともと仲間の性器や排便に鼻が近い状態だ。二足にするということは、鼻がそこから一気に離れるわけですね。動物的なものから感覚的に離れて、「目」という平野を広く見渡す器官の高さを上げたと。つまり二足歩行したときに選んだものと、選ばれなかったものがあるんだというお話なんです。
田中泯:そう。そして二足歩行を選んでここまで進化しても、年をとればとるほど体に感覚的に充満してきちゃうのが匂いの記憶なんですよね。それは単純に僕の記憶なのか、それとも系統発生する前の四足歩行の先祖の記憶なのか。匂いを介在させて、めくるめく記憶が蘇ってくる。その場所の風景までが蘇ってくるというふうに言われていますよね。僕らの感覚ってさ、例えば鳥肌でもそうですけど、みんなルーツがあるわけじゃないですか。そういうのを一生懸命DNAレベルでメカニズムが解析できたとか言うけど、でも、私たちの体に「私として統御できないもの」だらけなわけですよ。「これが一つの私です」なんていうことは言えないわけで、「私だらけ」なわけですよね。それでも「私」って言うかい?というような感じがしますね。だから言葉が怖いよね。言葉はね、僕は「どもり」の時期があったんだけども、それはさまざまな要件によって言葉にできない状態にあるというむしろ創造的な状態とも言えるわけで、でも「どもり」は悪いんだよって方に雰囲気的に押しやられていってしまった。「どもり」なんて悪くないんだよ、全然。最近、ようやく原因の解明が進んでいるらしいのだけれども、やっぱり本人に起きていること、この体に起きていることのほうが、僕はすべてに優先すると思うんですね。
編集部:体に起きていることを優先する。感覚的にはわかりやすいですが、認知的にはちょっと難しいですね。
田中泯:もっと言えば、何を指さしたりとか、体のどこかに触っているとかいうことでも、踊りで言えば、一つの行為ですよね。本当に大切なのは、体の外側の理由と体の内側の理由がピチッと合う、そういうことなんです。例えば沖縄の「エイサー」という太鼓を叩いて女の子たちが踊る。あれだって、ことごとく意味合いを持っていた。共同体の中で、太鼓をこうすることは何だったのか。手の動き、体の返しから、すべてにおいて意味合いであふれていたんですね。でも、今は、音をならすために叩くだけ。形だけになっちゃった。そうすると、ほとんど虚業ばっかりなんですよ、そのものが。本当は、もっともっと存在が中身で満ち満ちていたはずなんです。ところが、今は、頭で考えないと、体が満ちないんですよ。
編集部:体とは、自分に一番近い場所なのに一番遠い感じもします。
田中泯:僕は、生と死という2つのものに同時に一生懸命近づこうとしてていると思う。その課程において体も頭もも一つになれるかも知れないし、生も死も一つになれるかも知れないと。まず、人間が人間だけを見て生死を考えてちゃダメだと思うんですね。孤独死とか言いますよね。孤独の何が悪いんですか。孤独を社会の中でいけないものとして追いやりすぎてないでしょうかね。人は死ぬとき孤独ですよ。でも循環はしている。自然にはいろいろな死がある。仮に1本の枝を切って、山に転がしておくとしますね。そうすると、その枝が何年かかって成長したかというのが問題で、それが3年生きた枝だとすると、土になるのに3年かかるんです。バクテリアとかいろんなものが来て、食べてくれて、いじくってくれての結果なんですけれども。人間だって、この瞬間には、ものすごい他の生きものが寄ってたかってこの中で生きているんですね。大昔からの人間たちは、それを知っていたと、僕は思います。山梨ではまだ何か所か土葬しているんですけれども、僕の部落もそうですけど、穴掘って埋めるじゃないですか。そうすると、上が山になってこう盛り上がっているんですね。それが1年もしないうちにボコッてへっこんじゃうんですよ。ああ、骨だけになったんだなと。バクテリアに戻って生きるわけです。それをどのような視点で見るかということの問題だけなんですよね、実は。私たちは年齢を重ねていくなんて当たり前のことで、これはまさに自然の話で、木だって1年たった瞬間に全然違うわけですよ。桜の木だって、2年目の花と3年目の花、100年目の花、みんな違うんですよ。なにも、いつもどおりじゃないんですよね。僕も今日の僕と明日の僕は違うんですね。すべては動いている。
編集部:身体の感覚はほぼ「時間」の感覚に近いというか、「次の瞬間は私じゃない」のような感覚もそうですね。僕は、踊りを記録映像で見たりするのも最強につまらないっていう感覚がすごくあるんですね。身体感覚が伸びきっちゃってなにも感じなくなってしまう。泯さんご自身は、踊られているときに、どういう感じで時間をつかみ、どのように意識は経過していくものなんですか。
田中泯:この瞬間だって、僕たちは散々過去をつくって、ここにいるわけですよね。過去の言葉も行為も全部ずるずるくっついてきて今を作るんだけど、そこに横やりを入れるように、過去の時間とか、思い出とかが戻ってきたりとかするわけですよね。ところが、「体」は過去に戻してくれない。過去の体がここに帰ることは絶対ないんです。体は常に1秒を正確に刻んでいるんですね、地球と一緒に。そういう感覚というのが僕の中にはある。だから、イマジネーションとしての時間といわゆる物理的な時間は離別していくんですね。そして、時間が飛んじゃうというか、なによりも忘れちゃうんですね、どのくらいたったか。この前、音楽家とやってて、一瞬、どのくらいの時間がたったんだろうって突然不安に襲われて「今、何時ですか」って聞いたことがある(笑)。
編集部:心臓の動きとか、体の動き、自分の内臓はどのぐらい意識されていますか。
田中泯:それは本当に大切なことで、土方巽は 「内臓が踊るんだ」という表現をしていましたね。ただ、それは組織的な意味での内臓とはどうも違うんです。内と外との関係に目をやるというか。とにかく彼は「筋肉が踊るんじゃ絶対にない」と言う。筋肉を一生懸命動しているというのは「筋肉ダンス」だという見下していました。分子生物学の福岡伸一も「内臓は内側じゃないですよ」という言い方をしていますよね。食物が入って出てくる。これは外で起きていることをたまたま体の中側でやっているだけであって、別に外にあってもおかしくない機能だと。入る段階でアミノ酸になるけど、それで初めて内側なんだと勝手に呼んでいるだけだと。アメーバとか単細胞を見ると、本当に外が中を通過しているというそんな感じしますものね。あれと同じで、境界が消えるという感覚に近いかもしれない。
編集部:ちょっと個人的に興味があるのは、「脳は腸に似ている」んじゃないかってずっと思ってて、もともと原生動物というのは、口から食べて肛門から出すのと、それをとりわけ考えずに逆行するのもいるんですね。今の脳の形は脳みたいになっているけど、この管っぽい感じとか、ひだとか、よーく見てみると、どう考えても、もともとは腸がからまった状態が発祥なんじゃないかなと。それで、腸って、思考してるんじゃないかと思うんですけど、それは認識できない。一方で、脳も何か考えているような気にさせるんだけど、本当は何もつかまえてない感じ気もする。そこでちょっと飛ぶんですけど、「食」ってすごいなあと。味覚、視覚、脳、胃腸とすべてを駆使して、格闘する。実は今号でも別で特集するんですね。今まさに食におけるエコエゴエロも研究しているのですが、泯さんはおいしいものは好きですか?
田中泯:おいしいものには、かなり敏感ですよ。実際に畑も作っているわけだから。昨日も、野菜だけを蒸しているだけ。それに塩かけたり、酢醤油にしたりして、一人でそれ食べていたんだけど、ものすごくたくさん食いましたよ。やっぱりおいしいですねぇ。今は、ピーマンとか、しし唐、ナスとかうまいねえ。サツマイモはまだちょっと早いんだけど、ちょっと横取りをしちゃって食べたりして。
編集部:うまいものって本当に感覚的に、言葉を超えて生命力を感じますよね。泯さんご自身も、山梨県で白州、桃花村と、長年にわたって、畑のサイクルを間近に見てきてます。
田中泯:彼らにも体があってね、まず見ていると、驚くのは反応の早さ。一年草というか、野菜のほとんどがそうなんですけれども、ひでれば弱るし、でも根っこはがんばっていて、少し降るとばーって大きくなって。葉っぱが競って、一本間引きしたら、ぐわーっとその養分を取り合うし。そこら辺はもう見るのが大好きで、感情移入までしちゃいますね。「頑張れ、頑張れ」と言ったりとか。とにかく反射神経がよくて、彼らこそエロティックですよねぇ。一本の木なんていうのは、本当に巨大な組織ですから、枝が枝を殺し合うようなことを平気でやっているわけですからね。もう、「こっちが先よ」「いや私よ」とかという。
編集部:そう考えれば一本の木でも、畑でも、すべての自然は、水の奪い合いや太陽の奪い合いの、生き残りのドラマですよね。
田中泯:うわっと木を見上げて、どうしてこの形を最終的に選んだのかと思いますね。人間が一切触ってない造形美は、本当におもしろいですね。
編集部:自然と一口に言っても、いろいろあります。それこそ東京で「自然」という言葉は、新聞とかインターネットとかに出ない日はないわけで。アスファルトしか踏んでないこの体で電車に揺られて、話す話題は「自然」「自然」の毎日です。なんか傍観者の距離感というか、ねじれた感じです。
田中泯:そうですね。そして忘れやすいんだけど、自然は人間よりも動き回っている。 例えば九州の赤トンボは大陸まで渡って、また翌年帰ってくる。関東以北のやつは、山に行って田んぼに戻ってくる、そういう習慣を持っている。体の大きさを考えれば、強烈な旅行をするわけですよね。それも、代替わりしてまで、やってくるんですよ。トンボは2年生きないですからね。トンボでもチョウチョウでも。鳥なんかは、リーダーが教えたりしていますけどね。
「自然ってきれい」「自然ってかわいい」と言ってるひとは、やっぱり外から自然を見ちゃってるんだよね。そういうあなたは誰なんだって言ってあげたいですね。あなたこそが自然なんだよって。言ってみれば、結局も文明だって人間が作った自然ですから、東京もなにもかも全部自然なわけですよ。都市も、資本主義も、新しい形のものをどんどん作り出せばいいのにって思うんですよ。そういうふうにして自然を考えると、のっぴきならないものこそが、実は自然なわけだね。どうしても、瞬間を止めて、写真で撮った美しい田舎の景色が自然ということを人々は考えちゃいますよね。そんなものは自然ではない。まず、自然は止まっていることは、絶対にない。いつも動いているということを感じてないと離れちゃいますね。「自然」というのも、言葉の意味をほとんど考慮せずに、自分の経験から得られる程度のイマジネーションをそれに付着させているだけです。要するに、人間の学習能力がどんどん低下している。言葉の解釈や理解をもう一度やり直さないといけませんよね。もうすでに人間の思考に肉がなくなっちゃっているかも知れないですが。