山梨日日新聞 2015年元旦版

【「戦後と生きる」山梨70年の歩み】*2015年 山梨日日新聞社の元日紙 戦後七十年企画(©山梨日日新聞社) 昭和20年に生まれた著名人から一般の方々を対象にし戦後と共に生きてきた時間の一端を語ってもらう取材を受ける。ならび本人による文書も掲載いたしました。お読みいただけると幸いです。
Madada Inc.
 
体と向き合い、踊りを探す 
取材2014.12.11

 「人間にとって体とは何か。私にとって体とはこういうものだ、というものを踊りにしたい」。国際的に活躍する舞踊家の田中泯さん70年は、「体」と向き合い続けた時間だった。体を通し、戦後の時代の変化を感じ、踊りの本質、生きることの意味を考えてきた。
 「僕が子どものころ、まき割りが仕事だった」。やがて石油コンロやプロパンガスへ、井戸水は水道水になり、電化製品が登場し、生活は便利に豊かになっていった。「でもその一方で、体が使われなくなると、生きている実感も生まれにくい。体は誰もが唯一『私』と言えるもの。体抜きに『私』とは言えないのに、体が実感として育まれていないんじゃないかと感じてきた」
 クラシックバレエやモダンダンスから踊りの世界へ入り、次第に既存の表現とは異なる、原初的ともいえる独特なものへと変化。田んぼや道、森など土の上も舞台とし、大地で生きることを全身で表現する踊りへと進化してきた。
 「現代は踊りとはっきり評価できるものが『踊り』と認識されているが、かつては体そのものが踊りだった。名前なんか必要としない踊りが存在してたと思う」
 例えば、うれしいことがあり自然に跳ねる感じ、気持ちが言葉にならず体を震わせる感じ。「心が動くから体も動く。本人は踊りと思ってなくても、それが踊りなんだと思う。僕の踊りも同じ。生きてる実感の中から生まれる」
 1945年の東京大空襲の日、東京・中野で生まれた。疎開した八王子市で育ち、農業を通じて踊りの起源を探るため85年に白州町へ。山梨で暮らしてちょうど30年になる。90年代後半には同県の山間地に拠点を設け移り住んだ。
 「山梨で農業を始めたことで僕の青春は始まった。転機だった」。求めたのは、真剣に踊りのことを考え、体で実感できる場所。「東京で踊りの練習だけしてても駄目。こういう生き方をしているから、こんな踊りになる、という説明ができる暮らしをしたかった。」
 農業とともにある暮らしの中で見えたは、農村はこの70年の間に、それまで育んできた大事なものをたくさん失ったのではないかということ。豊かな自然や美しい景観、後継者問題、地域コミュニティーの縮小…。世界を見渡せば、差別や貧富の差はなくならないのに、それに対する日本人の怒りの声はほとんど聞かれなくなった。
 「人類の歴史は進んでいるのに、何で人間は変わっていけないのか。そのことへの怒り、もやもやが体のど真ん中にある」
 美しい田園の風景とそこで生き生きと働く人々。大好きだった盆踊りや祭りの日。幼いころに見たそれらすべてが「僕の踊りの原形」。自分にとっての踊りとは、本来の踊りとは何か、体を使い、探し続けている。
 

「決意より覚悟が似合う年頃?」
ダンサー 田中泯
原稿: 2014.12.20

 僕は今年、生まれて初めて七十才になる。神掛けて初めてのことだ。初日の出と同じくらいに大事件なのに、この七十年常に初めての年令を迎えて生きているはずなのに、困ったもんだ。数えきれぬ程の決意決心をしてきたはずなのに困ったもんだ。七十年という時間はとんでもない量なのに、僕は千年変わらず一日や一瞬にこだわって生きる人間の類のようだ。本当は困ってなんかいない、決意よりは覚悟の方が性に合っている。
 黒い宇宙を突っ走る太陽系地球の乗組員である人間は時間を発見した。時間は正確だ、迷わず前進しとどまることを知らない。後退など考えられない。寄り道 遠廻りバイパスも無しだ。「何故 時計はあるの?」と、子供の僕は考え続けてきた。柱時計の音が怖かった。大人たちが時計に追われているようにも感じていた。天然地球の永久運動を 太陽と月の存在が 人生の骨組みを作り時空間を教えてくれる。有難しだ。あとは偶然の組み合わせと個人の性格が人生を決める。他者のとやかく言えることでは無いのだ。それにしても人間関係や情報が人生の大半という現代、太陽や地球の出番が無いではないか。
 本来、天然であった自然が人為のこととして変化を急激に見せ始めた、ほんのわずかの時間でだ。恐れを忘れた人間にもはや年中行事は不要なのであるまいか?「一人の僕とは一体何なの?」と、子供の僕は考えてきた。天然とは「ありのままの」ことであった。どんな個人の現象でもありながら全世界に関係する。「僕の中に起こるどんな些細なことでも全世界と関係している」と、子供であり続けようとする僕は思う。質問だらけ疑問ばっかし夢いっぱい だった子供の自分に恥ずかしくない大人格好いい大人は 皆子供時代を抱えている。大人とは時間が作るものではなく天然から巣立った本来の自分の事だ。一瞬って、どの位の時間?。一回ばっかりの人生だ、覚悟します。