追悼:松岡正剛 氏





言葉をコトバに引き上げよう
 
100分で名著というテレビ番組でキリストの福音書をとりあげ、その中で言葉を コトバ と表記する学者が居ることを識った。ひどく嬉しかった。誰もが持っていて使うことのできる言葉、話し書き聞き考える言葉、まるで自分の所有物であるかのように思ったり、誰もに共通の意味を提供する道具のように思ったりもする。世渡りの道具としても便利だ。進化を続ける詐欺の手口も少なからず言葉から始まる。SNSでの友達作り、不可視の言葉。しかし僕達の言葉には誰もが始まりを持っている、初めて自分で言葉にしてその意味を感知した真の言葉が、産な言葉だ。「本当」は常に産だ、子供みたいなのだ。産な子供の産な言葉を コトバ として思ってみる、そう遠くはないはずだ。物事の名前はともかくとして僕達の言葉は、物事の微妙な感じやわずかな違いを感知・察知して使われる心の動き・感覚、つまり心のセンスなのだ。クレヨンを使い始めた子供の色のセンス、言葉にはならない小さな子供の心の訳。コトバ には誰にも所有できない無数のセンスが同伴しているのだ。
 
オドリのことを、僕は コトバ と同じように片仮名にした、かなり昔からだ。所有できない感覚としてオドリをカラダの外に内に動かす、これは僕の心の偶さかのセンスだ。正直に打ち明けると、半世紀(正確には四十九年)前の僕は言葉を書くこと話すことの全く苦手なヒトだった。読むことは人並みにしてはいたもののオドリを検索・学習することに世代を捨てて熱中する青春の始まり時分。さらに、断っておくと僕はカラダの中で世代を自在に駆け巡ることを旨とするヒトであろうとする者、青春が終わろう筈もなし。そんな頃に、僕は松岡正剛と出会った。そして雑誌「遊」が動き始めて間もない頃、人を介して松岡正剛というヒトと会う羽目になる、新宿のビル上の方の事務所の一室、原稿を執筆中の松岡から少し離れた椅子に座って黙って待つ。一時間か、それ以上かもはや憶えていないが、カラダ左側の本棚のギッシリ連なる本達の背文字が放つ誘惑の虜になっていた。オドリはヒトのこと、カラダのことと言葉で思い始めていたから、そこにある本の表題が好奇心以上を僕に求めているようにすら感じた。

仕事終えた松岡正剛と何を話したか憶えていない。鮮明に憶えているのは、事務所を出てビル下の食堂に入り日本酒で乾杯したことだ。その日以降彼松岡が酒を口に運ぶのを見たことがない。オドリとコトバの他人事のような世界にしがみつき、できれば紐解き俯瞰し過去未来を飛び回り遊び回る。完成に向かわないことごとが発生し続けた約半世紀の友・松岡正剛が逝った!危篤の知らせはあまりにも唐突だった。時間とはないものだった。動悸激しいカラダで外に出、夜空を見上げる、満天の星、久しく見ていない星空は輝きわたっていた。宇宙・ダークマター・月。惜しみなく贈与される コトバ のヒト松岡正剛の心には利他の想いが葉脈の殆く行き渡っていたに違いない。

星空の奥に向かって祈るのだけど、流れ星が何度も何度も輝いては去った。僕はコトバに見放されて現在、居る。

田中泯 拝

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山梨日日新聞 連載 えんぴつが歩く205回