高崎映画祭

田中泯は、2008年11月15日永眠されました、高崎映画祭事務局事務局長 創設者の、茂木正男さんとのたった一度の出会いを通して、心から「高崎映画祭」を応援いたします。


モギマサ日記ー僕と映画と仲間たちと
茂木 正男 著
頁249
ISBN:9784812018019

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1987年から市民ボランティアにより運営されている地域密着型の映画祭である。長年地元で自主上映を行っていたグループが母体となり、授賞式、シンポジウムなど自主上映会では実現が難しかった企画を始め19作品の上映を行った。高崎市が、群馬交響楽団という市民オーケストラ発祥の地であり、市民の文化活動に理解があったことも幸いし、2001年の第15回では84作品を上映、延ベ2万人の観客を集める映画祭に成長した。現在、国内には何百という数の映画祭が開催されているが、地方に於ける映画祭運営の大きな課題のひとつにボランティアの育成・活用が挙げられると思う。高崎映画祭では主催者である委員会、実質的な作業を行う事務局ともに市民による自主運営のため、予算的に専従スタッフを置くことができない。よって企画から交渉、当日の運営に関わる全ての人々が無償ボランティアとして活動しており、一人一人の意識や技術レベルが成功への大きな鍵となる。私たちの事務局は、当初、自主上映に関わっていた友人、知人の誘いでボランティアスタッフとして参加した10 代、20代の学生や若い会社員を中心に構成されていたが、次第に観客として観に来ていた人たちからの問い合わせや参加希望が多く寄せられるようになり、近年は一般公募の形をとっている。映画祭開催の3ヵ月はど前から市広報などを通じ新スタッフを募集した結果、10代から60代までの幅広い年代の人々が新たに参加することになり、ユニークなスタッフ構成となった。映画祭を始めた頃は、世間のボランティア活動への理解がまだ浅く、お金にならないことをしている変わった連中と見られることもあった。手持ちの資金もなくて、運営委員以下、スタッフは企画書と自主上映の実績だけを携え、高崎市や地元企業へ協力のお願いに走り回った。今思えば笑い話のようなことも多いが、当時の苦労があったからこそ、この映画祭の灯を絶やしてはならないという強い意志が私たちにはある。この気持ちを次の世代のスタッフに受け継いでもらえれば、私たちの使命はひとつ果たせたことになる。新スタッフとして参加すると、学生にとっては進級、進学の春を迎える約2週間、社会人にとっては年度末、新年度の大変慌ただしい時期のみならず、開催までの準備期間となる2月、3月も積極的に活動することとなり、ボランティアといえども気軽なものではない。家族や学校、勤務先の協力も不可欠となるだろう。それでもボランティアへの理解が深まりつつあるように、参加希望者は増加の傾向にある。私たちは、お客様にとって快適なサービスを提供できる映画祭であること、そして優秀な人材がスタッフとして参加したいと思う魅力的な映画祭であることを常に心掛け、前向きに努力していきたいと考えている。

80年代後半から、映画祭ブームと呼ばれるほど大小様々な映画祭が開催されるようになったが、当時、地方によっては映画興業組合に反対にあい、市民、あるいは地方行政主催の映画祭が実現できなかったという話を聞くことがあった。興行権をめぐる興業組合との調停は認識の相違などもあり、地域による個別の対応が要求される問題なので一概には言えない。しかし、90年代から始まった画期的なシネマ・コンプレックスの全国進出により、映画会社が自社で製作した作品を独占的に系列の劇場だけに配給するブロック・ブッキングのシステムが見直される時期に来ており、興業形態の変革と再編を迫られる映画業界では、映画祭や上映会に対する認識を変えつつあるように思われる。既存の映画館が次々と閉館に追い込まれ、地域によっては興業組合そのものの存続が危ぶまれる事態となった現代において、もはや対立の構図を堅持する必然性は見当たらなくなっているのである。映画祭や上映会では、映画館での興業上映とは異なり、単発の上映契約を交わして作品を借りるため配給会社との確かな信頼関係を築くことは難しいが、レンタル料金や、上映日時と回数、企画内容、支払い方法など、誠意を込めて話し合うことで、互いの理解が深められるよう努力することが大切となる。また、大手の配給会社から作品を借りたい時は、興業組合や映画館から話しを通して貰った方が良い結果が出る可能性が高いので、協力が得られるよう働きかける必要がある。自主製作の作品やミニシアターなどで公開されるような逸作は、直接、配給担当者に連格・交渉することが可能だが、興業的に成功している作品については地元の映画館からオファーが出ている場合があり、調整のため手続きに時間がかかることもあるので注意したい。地方の映像文化にとって、映画が芸術としてのみならず産業としても発展することが重要な意味を持っている。各々が観たい映画を選択し、それを恒常的に観ることのできる環境(場所)が保証されることが、地方都市で生活する私たちにとって人生の豊かさのバロメーターとなる。娯楽性と芸術性という異なる性格を併せ持つ映画が本来の輝きを破り戻しつつある時代に、映画祭と公共上映が担うべき役割と期待は大きい各々が観たい映画を選択し、それを恒常的に観ることのできる環境(場所)が保証されることが、地方都市で生活する私たちにとって人生の豊かさのバロメーターとなる。娯楽性と芸術性という異なる性格を併せ持つ映画が本来の輝きを破り戻しつつある時代に、映画祭と公共上映が担うべき役割と期待は大きい。
茂木 正男